燃える思いの帯

先日の塩沢紬に合わせていた八寸帯。

この柄、実は「芭蕉」の葉なんです。

水芭蕉は良く聞くと思いますが、芭蕉ってどんなの?という方も多いかと思います。

調べてみると、

 

バショウ芭蕉・学名:Musa basjoo)はバショウ科の多年草。英名ジャパニーズ・バナナ。高さは2~3mで更に1~1.5m・幅50cm程の大きな葉をつける。花や果実はバナナとよく似ている。熱帯を中心に分布しているが耐寒性に富み、関東地方以南では露地植えも可能である。~wikipediaより

と、もろ南国系。

 

そしてこれ、あの芭蕉布の元なんです。

こちら ↓

芭蕉布 100年続く沖縄伝統の高級織物 | たびらい沖縄

 

こんな大きな南国ムード満点のバナナ系の葉っぱ(w)から、あの何とも美しい風合いの織物ができるなんて!

やっぱり、衣服っていうのは、人々の生活の中にあって発達してきたものなんですね。

 

で、花言葉

「燃える思い」ですって。

今の私にピッタリかも~♡

なんてね。(^^)

 

 

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働く人にこそ着物を着て欲しい!

先日ある方が私の本を読んで、FBに

「良い本に巡り合えました。ありがとうございます」

というメッセージを下さいました。

この本を書いたのは、もう3年くらい前になるのですが、そうやって今でも読んで下さる方がいて、そして感想まで寄せて下さるなんて、本当にありがたくそして励みになります。

この本はもともと、皆の知っている着物の良さ以外の良さ(ちょっと複雑w)をもっと伝えられないかという思いから、本というジャンルにおいて、普段写真など“目で見る事”の多い着物を文章にして伝えてみたらどうかということで書いたもの。

そして、私の考える、今の時代に合った着物の着方、つまり着物ライフを目指すものではなく、着物をファッションとして自分のワードローブに取り入れましょうよ、きっと良い事あるよっていうスタンスは、当時も今も変わっていません。

特に、2020年の東京でのオリンピックが決まった事もあって、日本らしさというものに注目が集まっている今、働く人にこそ、着物を着て欲しい。ますますそう思っています。

 

 

 

 

衣を買う幸せについて。

『洋服を100日間買わない』 ということに挑戦している友達がいます。しかも、彼女は、私の周りの友人の中でも、とてもオシャレに興味がある人のひとり。
何でそんな事をしているの?と聞くと、彼女自身も、これまたオシャレに目がない友人が実践しているのを見て、何か気付く事があるかも知れないと思い、やって見る事にしたのだそうです。

考えてみれば、洋服なり着物なり「着るもの」というのは、衣食住の中の“衣”という部分で言うと、今まで持っているもので十分間にあわせることができるというものでもあって、何かあれば最優先に節約されるものなんですね。でも、新しい洋服や着物を手に入れた時のあの高揚感、それは、オシャレ好きにとって、なにものにも代え難い感覚でもあったりする。そう考えると、私達が着るものを買うという行為は、必要であること以上に、精神的な満足感を得るためである様な気がします。

これは着物の場合特になのですが、何か新しいものを買って手持ちのものとコーディネートした時、それがシックリこないとどうも満足感が得られない。いや、ちょっと違うもちょっと・・・と、いわゆる新しいものと手持ちのものとちぐはぐ感を修正するためにまた新しいものに手を出す。。。。という悪循環に陥る時があります。このサイクルにハマると、いつまでたっても満足しない。幸せ感が感じられないということなんですね。.
つまりは、新しいものを買えばそれで良いということではないということなのではないかと思ったり。

洋服を100日間買わないというのは、もしかしたら、ちぐはぐの悪循環を断ち切る為の、処方箋であるのではあるまいか?
それでも、やっぱり今の私。試してみる勇気、今のところないなぁ。


 

 

 

 

 


 

 

 

変化の伝え方も大切かもしれないという件

最近行く先々で「伝統は革新の繰り返し」という言葉をよく聞くようになりました。和装業界の中でも、ようやく新しい考え方や新しい方法を試そうという方が増えて来て、とてもウレシク思っています。

ところで、この「革新」といういう事に関してちょっと考えてみたいのですが、まずはその意味を調べてみると、

「新たに革(あらた)めることを意味し、既存のものをより適切と思われるものに変更することを意味する。」wikipedia

とあります。

つまりはじめに、既存(もともと)は何なのかということがわかる必要があって、そしてそれを新しいものと比べることで、どう適切に新しくしたのかがわかるということなのですね。

取材などで色々な新しい試みやチャレンジを拝見させていただく事も多くなってきて、最近思うのは、この既存がそもそもどういうものであったのか、そしてそこからどういう風に新しくなったのかということが、一般の人にわかりにくく、せっかくのチャレンジや試みがちゃんとユーザーに伝わっていないケースが多いのではないかという事です。

自分達にとっては画期的でとても大きな変化であるのだけれど、一般の消費者から見ると、どこがどう変わったのかが見えてこない。それは、変化の触れ幅の大きさや方向性の問題かもしれないし、伝え方の問題なのかもしれない。
いずれにしても、そこをもっと分かり易くしていかないと、せっかくの革新がただの繰り返しになってしまうような気がするのです。