だから私はひたすら着物を用意する。
新緑の眩しいこの季節。
こういう仕事をしているので、各種レセプションやパーティーなどにお招きいただくことも多く、それが毎日続くということもしばしば。
そういったお席には、もちろん着物でお伺いするのですが、朝からお昼間にかけては仰々しい姿が不向きという場合もあるので、そんな時には、面倒でも一度戻って着物に着替えるということをします。
(実はこれ、都心に住んでいる理由の一つなんです)
着物を「着る」ということに関しては、自分で言うのもなんですが、かなりの訓練を受けていて、着慣れていない着物でもササッと早着替え可能。でも、「何を着るか」と言うことに関しては、じっくりと時間を掛けます。
したがって、そういうお席が続く週には、あらかじめまとめてコーディネートしておくという作業が必要なんですね。
そして今日も来週に向けて、色々とやっています。
着物を着るって、単に着るだけではなくて、こうしてコーディネートするってことも含めてのことだと思うんです。
いえ、
むしろ、
それが一番楽しいんじゃないのかなと思います。
男目線か女目線かそれが問題?
先日ある京友禅の作家さんと後継者問題について話していた時のこと。
その作家さんがふと、
「最近若い人が少しずつ増えてはいるけれど、女性が多いんですよね。それがちょっとなぁ・・・・。」
とおっしゃるので、
「え?女性じゃダメなんですか?」
と思わず聞き返してしまいました。
その理由をよく聞いてみると
「着物は、男性がこう言う女性になって欲しいという、憧れ、理想を表現したものでなければいけないから。」
なんだそうです。
確かに着物は昔、男性が女性に買い与える(こういう表現が適切かどうかは別として)ものが多かったということを考えると、その感覚は分かる様な気がします。しかし、今や着物は女性が自分で選んで自分で買う時代。だから、女性目線での色柄でもいいし、むしろ女性が作る着物の方が若い人達には受け入れられるのではないの?とも思ったり。
そこで、ここはやっぱり本音を聞きたいと、もう少しお話を掘り下げてみる事に。
「私達の作るものはね。それを着る事で、女性の色香とか優しさみたいな女性らしさを持った人になって欲しい、というものなんです」
そうか。友禅に代表される京都のはんなり系の色、柄というのは、男性好み、男性目線での着物なんだなぁ。
「で、こちら(江戸つまり東京)のものは、色気がないでしょ?黒!とか白!とか攻撃的で」
なるほど。江戸小紋に代表される江戸東京系のキリッとした色、柄。
イメージとしては、自立した女性である事は確か。
でもそうなると、これは創り手の性別の問題ではなくて、京都 vs 江戸(東京)の問題なのではないの?
着物が欲しいと思った時、基準になるものは何か。
自分の目指すところはどこか。
おりしも先日のアメリカの大統領選。
結果は予想外のトランプ氏の激勝。
世界を揺るがす大選挙も日本の誇る伝統文化も、選ぶ基準は本質的なものであって欲しいですね。
着物バッグ問題 ~ちょっとイイもの発見!
皆様から、よく質問される事のひとつ。
「着物を着た時は、着物用のバッグを持たないといけませんか?」
大雑把に言って私は、NO だと思っています。
着物を着たからといって、着物用のものを持たないといけないワケではなく、
あくまでも、トータルのコーディネートバランスとして考えていけばいいのです。
で、なぜ皆がこう思ってしまうのかと考えると、着物用のバッグで、
「いいな」と思うものが少ないんじゃないかと思うワケです。
そこで!
と言う訳ではないのですが、最近ちょっと使えそうなバッグ見つけました。
これ、おそらく帯地で作られているのですが、ちょっと持つには最適な大きさ。
しかも、持ち手が選べるという優れモノ。
表に、ビニールも掛けられる。
(しかもこれで、一万円でおつりが来ます。)
ザ・着物バッグに抵抗があるけど、洋服用バッグを合わせるセンスに自信がない!っていう方の普段使いにおススメかも。
それにしても写真映り悪くてスミマセン!
燃える思いの帯
先日の塩沢紬に合わせていた八寸帯。
この柄、実は「芭蕉」の葉なんです。
水芭蕉は良く聞くと思いますが、芭蕉ってどんなの?という方も多いかと思います。
調べてみると、
バショウ(芭蕉・学名:Musa basjoo)はバショウ科の多年草。英名ジャパニーズ・バナナ。高さは2~3mで更に1~1.5m・幅50cm程の大きな葉をつける。花や果実はバナナとよく似ている。熱帯を中心に分布しているが耐寒性に富み、関東地方以南では露地植えも可能である。~wikipediaより
と、もろ南国系。
そしてこれ、あの芭蕉布の元なんです。
こちら ↓
こんな大きな南国ムード満点のバナナ系の葉っぱ(w)から、あの何とも美しい風合いの織物ができるなんて!
やっぱり、衣服っていうのは、人々の生活の中にあって発達してきたものなんですね。
で、花言葉は
「燃える思い」ですって。
今の私にピッタリかも~♡
なんてね。(^^)
資生堂PR記事がアップ!
働く人にこそ着物を着て欲しい!
先日ある方が私の本を読んで、FBに
「良い本に巡り合えました。ありがとうございます」
というメッセージを下さいました。
この本を書いたのは、もう3年くらい前になるのですが、そうやって今でも読んで下さる方がいて、そして感想まで寄せて下さるなんて、本当にありがたくそして励みになります。
この本はもともと、皆の知っている着物の良さ以外の良さ(ちょっと複雑w)をもっと伝えられないかという思いから、本というジャンルにおいて、普段写真など“目で見る事”の多い着物を文章にして伝えてみたらどうかということで書いたもの。
そして、私の考える、今の時代に合った着物の着方、つまり着物ライフを目指すものではなく、着物をファッションとして自分のワードローブに取り入れましょうよ、きっと良い事あるよっていうスタンスは、当時も今も変わっていません。
特に、2020年の東京でのオリンピックが決まった事もあって、日本らしさというものに注目が集まっている今、働く人にこそ、着物を着て欲しい。ますますそう思っています。
衣を買う幸せについて。
『洋服を100日間買わない』 ということに挑戦している友達がいます。しかも、彼女は、私の周りの友人の中でも、とてもオシャレに興味がある人のひとり。
何でそんな事をしているの?と聞くと、彼女自身も、これまたオシャレに目がない友人が実践しているのを見て、何か気付く事があるかも知れないと思い、やって見る事にしたのだそうです。
考えてみれば、洋服なり着物なり「着るもの」というのは、衣食住の中の“衣”という部分で言うと、今まで持っているもので十分間にあわせることができるというものでもあって、何かあれば最優先に節約されるものなんですね。でも、新しい洋服や着物を手に入れた時のあの高揚感、それは、オシャレ好きにとって、なにものにも代え難い感覚でもあったりする。そう考えると、私達が着るものを買うという行為は、必要であること以上に、精神的な満足感を得るためである様な気がします。
これは着物の場合特になのですが、何か新しいものを買って手持ちのものとコーディネートした時、それがシックリこないとどうも満足感が得られない。いや、ちょっと違うもちょっと・・・と、いわゆる新しいものと手持ちのものとちぐはぐ感を修正するためにまた新しいものに手を出す。。。。という悪循環に陥る時があります。このサイクルにハマると、いつまでたっても満足しない。幸せ感が感じられないということなんですね。.
つまりは、新しいものを買えばそれで良いということではないということなのではないかと思ったり。
洋服を100日間買わないというのは、もしかしたら、ちぐはぐの悪循環を断ち切る為の、処方箋であるのではあるまいか?
それでも、やっぱり今の私。試してみる勇気、今のところないなぁ。