さて、この帯をどう料理するか。
先日、母の実家から「家を改築するので着物や帯を何とか整理して欲しい」とお呼びが掛かりました。早速、母と2人で馳せ参じることとなったのですが、実はこの母の実家というのがそもそも女系の家。祖母と長年住んでいた姉妹4人分のコレクション?の数は相当なもので、他の親戚は誰も着物を着ないから全部任せると言われた私たちは、
引き出しを開け、たとう紙を解く度に
「これいいわね〜!」
「あっ!これ○○よ!すごいわー!」
と嬉しい叫び声をあげつつその宝の山の中を泳ぎ、選りすぐりをいただいてくるという夢のような作業をすることとなったのでした。
そんなこんなで持ち帰ったコレクション。さすが全員が着道楽であっただけあって、とても質がよく凝った作りのものがほとんど。だからもう、もう、ただ感謝感謝感謝!なのですが、中にはいいものではあるけれど、ちょっといつもの自分の好みではないというモノがやっぱりあるんですね。
あっ、これはスゴーーク良いモノだ!と思うけれど、そこは最初から自分で選んで作ったり買ったりしたものではないので、ちょっと違うんだなー。というもの。
おそらく、皆様のたんすの肥やしになっているものの中にも、こういうものが必ず存在しているのはないかと思います。
実は以前からよく、親戚や親からもらったり、お嫁入り道具として持ってきた着物や帯をどう着たらいいのか教えて欲しいという質問を受けます。
この件に関していうと、自分の好みでないモノは全く受け付けない。そういうものは一切いらない。そういう考え方ももちろんあると思います。
ですが、実は“自分が選んだモノではないもの”というのは意外に自分の着こなしの幅を広げてくれるものでもあるのですね。少なくとも私にとっては、どうやったら、自分の好みになるか。どうすれば“自分のもの”になるかというチャレンジ精神をムクムクと湧き上がらせるものであることは間違いない。
そう、こういうものがあると、私は断然燃えるのです!
この感覚ってきっと料理と似ているところがあるんじゃないかと思います。
例えば、鯛という魚があったとして、これを焼くのか煮るのかはたまた生食するのかというのは、その料理する人の腕一つ。素材を見極め、それを自分好みの味にするには何を足してどれを引き算して、スパイスには何を使おう!っていう感覚。
やっぱりオシャレって、楽しい〜❤️
さて、この帯をどう料理するかな。
ワードローブが充実すると人生が楽しくなる件
よく、ファッション雑誌などで見かける、「ワードローブ」という言葉。
そもそもの意味は、洋服ダンスという意味なんですが、ファッションの言葉で言うと、衣服の計画、つまりは、具体的な組み合わせを考えたり、またそれに伴う手入れ、保存、管理を含めて、衣生活を充実させるすべてのことだそう。
私も含めてオシャレ好きな方々にとって、まさにワードローブが充実すると、なんだかワクワクすることってありませんか?
着るものって、ただ洋服なり着物なりっていう“物質的なモノ”を着るって言う行為だけではなくて、それに伴うストーリーやコトが必ずあるはずなんですね。
例えば、これ着てどこへ行くとか何かをするために着るものとか。また、この人に会うからとか、この目的があるからこれにしようとか。
だから、それが増えたりまたは組み合わせのバリエーションが増えると言うことは、人生そのものが充実していくことなんだと思うんです。
まあ、あまり着ることに興味ない方にとっては、関係ないお話になるかもしれませんが。
拘る拘らないというような難しいことではなくて、これを着てどこかに行こうとか、何をしようかを考える時に、その思い、そして感覚なんかが一緒に動く。
そしてそれらが、その人の historyとなって残っていく。
少なくとも、私にとって着物も洋服もそういうものなんだと思います。
だから私はひたすら着物を用意する。
新緑の眩しいこの季節。
こういう仕事をしているので、各種レセプションやパーティーなどにお招きいただくことも多く、それが毎日続くということもしばしば。
そういったお席には、もちろん着物でお伺いするのですが、朝からお昼間にかけては仰々しい姿が不向きという場合もあるので、そんな時には、面倒でも一度戻って着物に着替えるということをします。
(実はこれ、都心に住んでいる理由の一つなんです)
着物を「着る」ということに関しては、自分で言うのもなんですが、かなりの訓練を受けていて、着慣れていない着物でもササッと早着替え可能。でも、「何を着るか」と言うことに関しては、じっくりと時間を掛けます。
したがって、そういうお席が続く週には、あらかじめまとめてコーディネートしておくという作業が必要なんですね。
そして今日も来週に向けて、色々とやっています。
着物を着るって、単に着るだけではなくて、こうしてコーディネートするってことも含めてのことだと思うんです。
いえ、
むしろ、
それが一番楽しいんじゃないのかなと思います。
男目線か女目線かそれが問題?
先日ある京友禅の作家さんと後継者問題について話していた時のこと。
その作家さんがふと、
「最近若い人が少しずつ増えてはいるけれど、女性が多いんですよね。それがちょっとなぁ・・・・。」
とおっしゃるので、
「え?女性じゃダメなんですか?」
と思わず聞き返してしまいました。
その理由をよく聞いてみると
「着物は、男性がこう言う女性になって欲しいという、憧れ、理想を表現したものでなければいけないから。」
なんだそうです。
確かに着物は昔、男性が女性に買い与える(こういう表現が適切かどうかは別として)ものが多かったということを考えると、その感覚は分かる様な気がします。しかし、今や着物は女性が自分で選んで自分で買う時代。だから、女性目線での色柄でもいいし、むしろ女性が作る着物の方が若い人達には受け入れられるのではないの?とも思ったり。
そこで、ここはやっぱり本音を聞きたいと、もう少しお話を掘り下げてみる事に。
「私達の作るものはね。それを着る事で、女性の色香とか優しさみたいな女性らしさを持った人になって欲しい、というものなんです」
そうか。友禅に代表される京都のはんなり系の色、柄というのは、男性好み、男性目線での着物なんだなぁ。
「で、こちら(江戸つまり東京)のものは、色気がないでしょ?黒!とか白!とか攻撃的で」
なるほど。江戸小紋に代表される江戸東京系のキリッとした色、柄。
イメージとしては、自立した女性である事は確か。
でもそうなると、これは創り手の性別の問題ではなくて、京都 vs 江戸(東京)の問題なのではないの?
着物が欲しいと思った時、基準になるものは何か。
自分の目指すところはどこか。
おりしも先日のアメリカの大統領選。
結果は予想外のトランプ氏の激勝。
世界を揺るがす大選挙も日本の誇る伝統文化も、選ぶ基準は本質的なものであって欲しいですね。
着物バッグ問題 ~ちょっとイイもの発見!
皆様から、よく質問される事のひとつ。
「着物を着た時は、着物用のバッグを持たないといけませんか?」
大雑把に言って私は、NO だと思っています。
着物を着たからといって、着物用のものを持たないといけないワケではなく、
あくまでも、トータルのコーディネートバランスとして考えていけばいいのです。
で、なぜ皆がこう思ってしまうのかと考えると、着物用のバッグで、
「いいな」と思うものが少ないんじゃないかと思うワケです。
そこで!
と言う訳ではないのですが、最近ちょっと使えそうなバッグ見つけました。
これ、おそらく帯地で作られているのですが、ちょっと持つには最適な大きさ。
しかも、持ち手が選べるという優れモノ。
表に、ビニールも掛けられる。
(しかもこれで、一万円でおつりが来ます。)
ザ・着物バッグに抵抗があるけど、洋服用バッグを合わせるセンスに自信がない!っていう方の普段使いにおススメかも。
それにしても写真映り悪くてスミマセン!
燃える思いの帯
先日の塩沢紬に合わせていた八寸帯。
この柄、実は「芭蕉」の葉なんです。
水芭蕉は良く聞くと思いますが、芭蕉ってどんなの?という方も多いかと思います。
調べてみると、
バショウ(芭蕉・学名:Musa basjoo)はバショウ科の多年草。英名ジャパニーズ・バナナ。高さは2~3mで更に1~1.5m・幅50cm程の大きな葉をつける。花や果実はバナナとよく似ている。熱帯を中心に分布しているが耐寒性に富み、関東地方以南では露地植えも可能である。~wikipediaより
と、もろ南国系。
そしてこれ、あの芭蕉布の元なんです。
こちら ↓
こんな大きな南国ムード満点のバナナ系の葉っぱ(w)から、あの何とも美しい風合いの織物ができるなんて!
やっぱり、衣服っていうのは、人々の生活の中にあって発達してきたものなんですね。
で、花言葉は
「燃える思い」ですって。
今の私にピッタリかも~♡
なんてね。(^^)